
こんにちは。出戻りランサーです。
今回は、
本をたくさん読まなくても、考える人はいる。鍵は“知識欲”かもしれない
という話を書いてみます。
よく、
「考えられるようになりたければ本を読め」
と言われることがあります。
たしかに、それは一理あるのだと思います。
本を読むことで、知識が増えたり、考え方の型に触れたり、自分にない視点を取り込めたりするからです。
ただ、自分はもともと
多読・乱読するタイプではありません。
本を大量に読むタイプではないし、何でもかんでも読んでいるわけでもない。
でも、自分のことを思考するタイプだとは思っています。
そう考えると、読書が正義という論調には少し違和感があるんですよね。
本をたくさん読む人ほど考えられる、というのは本当なのか。
それとも、本質は別のところにあるのではないか。
整理してみる中で、自分は
“知識欲”が鍵なのではないか
と思うようになりました。
今回は、そのあたりを書いてみます。
「本を読めば考えられるようになる」は、少し雑な言い方かもしれない
最初に思うのは、
「本を読めば考えられるようになる」
という言い方は、少し雑かもしれないということです。
もちろん、本を読むこと自体は悪くありません。
むしろかなり良いことだと思います。
ただ、それをそのまま
- 読書量が多い人ほど考えられる
- 本を読まない人は考えられない
- 思考力を鍛えたければとにかく冊数を増やせ
みたいに受け取ると、少しズレる気がします。
実際、自分は本を大量に読むタイプではありません。
でも、物事を分解して考えたり、違和感を言葉にしたり、自分なりに整理したりするタイプだとは思っています。
つまり、
大事なのは単なる冊数ではなく、
何かを知りたいとか、理解したいとか、考えたいという欲求の方なのではないか
と考えました。
自分は“多読タイプ”ではなく、“考えるタイプ”だと思っている
ここは自分の実感です。
自分は、本を次々読むタイプではありません。
乱読もしないし、知識をどんどん消費する感じでもない。
でもその代わり、
- これはどういうことだろう
- なぜこうなるのか
- 何が本質なんだろう
- どこにズレがあるのか
- 自分の経験とどうつながるのか
みたいなことを常々考えています。
つまり、自分は
読書量そのものより、考え続ける癖の方が強い
んですよね。
だからこそ、
「考えたければ本を読め」
と言われると、少し違和感があったのだと思います。
読書は一つの手段ではある。
でも、思考する人のすべてが多読家とは限らない。
ここはかなり大事な気がしています。
読書量と“考える力”には相関があるらしい。でも因果は別かもしれない
この違和感があったので、少し研究も見てみました。
すると、読書量と認知能力や批判的思考っぽいものの間に、ある程度の相関があるという研究はあるようでした。
つまり、よく読む人の方が、語彙や理解力、思考傾向の一部が高めに出る、という結果です。
ただ、ここで大事なのは、
相関があることと、原因であることは別
だということです。
たとえば、
- 本を読むから考えられるようになる
- もともと考える人だから本を読む
- その両方がある
この3つは全然違います。
ここを分けずに
「だから本を読め」
となると、かなり雑になります。
自分としては、研究結果を見ても、
読書が思考力を作るというより、もともとの知的な傾向や好奇心が読書にもつながっている
と見る方がしっくりきました。
そこで気になったのが、“知識欲”というキーワード
整理していて、自分の中でかなりしっくりきたのが
知識欲
という言葉です。
要するに、
- 知りたい
- 理解したい
- 仕組みを見たい
- 背景を掘りたい
- 納得したい
こういう欲求です。
この知識欲が強い人は、自然と情報を取りに行きます。
その手段の一つとして、本がある。
他にも、
- 人に聞く
- 記事を読む
- 動画を見る
- 調べる
- 比較する
- 自分の経験と照らす
いろいろあります。
つまり、本が先にあるというより、
知識欲が先にあって、その出口として読書が選ばれる
のではないか、ということです。
この考え方だとかなり自然なんですよね。
本を読む人が“考えられる人”に見えるのは、知識欲の強さが先なのかもしれない
ここがたぶん、自分の今の考えの中心です。
本をよく読む人が、結果として
- 知識が多い
- 語彙がある
- 話が整理されている
- 視点が多い
- 考えているように見える
のは、本そのものの力だけではなく、
そもそもその人に知識欲があるから
かもしれない、ということです。
知識欲がある人は、
- わからないままにしない
- 背景を知りたがる
- 一次情報に近づこうとする
- 自分で納得したがる
- 物事をつなげて考えたがる
この傾向があります。
そういう人が本を読むと、当然伸びやすい。
でも本質は、冊数よりもその欲求の方にあるのではないか。
自分はかなりそう思っています。
だから、本をたくさん読まないこと自体はそこまで問題ではないと思う
この整理に立つと、
本を多く読まないこと自体は、そこまで問題ではないように思えてきます。
大事なのは、
- 何を知りたいのか
- どう理解したいのか
- 読んだものをどう咀嚼するのか
- 自分の中でどう整理するのか
だからです。
極端に言えば、
- 100冊を流すように読む人
- 1冊をかなり考えながら読む人
では、後者の方がよほど思考に結びつくこともあると思います。
冊数は見えやすいです。
でも、思考って本来もっと見えにくいものです。
だから、
「自分は多読家ではないからダメなのでは」
と考える必要はあまりないのだと思います。
思考力に必要なのは、“読む量”より“咀嚼する力”かもしれない
自分の感覚では、思考力に効いてくるのは、
読む量そのものより、
咀嚼する力
の方です。
たとえば、
- これは本当にそうなのか
- 自分の経験ではどうか
- 前提は何か
- 他の見方はないか
- 著者は何を言いたいのか
- 自分ならどう言い換えるか
こういうことを考えながら読む。
あるいは読んだ後に、
- 何が残ったか
- 何に引っかかったか
- 自分はどこに違和感を持ったか
- 何が納得できなかったか
を見ていく。
この方が、単に冊数を増やすよりよほど思考に効く気がします。
だから、もし思考力を鍛えたいなら、
「もっと読まなきゃ」
より、
もっと咀嚼しよう
の方が大事なのかもしれません。
知識欲がある人は、本以外からも考える材料を取りに行く
ここも大事だと思っています。
知識欲がある人って、本しか読まないわけではないんですよね。
- 会話から学ぶ
- 現場で見る
- 人の失敗から考える
- ニュースや論文を読む
- 比較してみる
- 自分で試してみる
みたいに、かなりいろいろなところから材料を持ってきます。
つまり、
本を読むことは大事でも、
知識を取りに行く姿勢そのものの方が本質
だと思います。
その意味では、本を読むかどうかだけで人を測るのはやっぱり雑です。
知識欲が強い人は、本からでも、人からでも、経験からでも、学びを取る。
そしてその材料をもとに考える。
だから思考する人に見えるのだと思います。
たぶん、自分に必要なのは“もっと読むこと”より“もっと考えながら読むこと”
ここまで整理して、自分の中では少し納得できてきました。
自分に必要なのは、
たぶん
もっと読むこと
そのものではなく、
もっと考えながら読むこと
なのだと思います。
多読家になる必要はない。
でも、自分が気になったもの、引っかかったものについては、
- なぜ気になったのか
- どこが本質か
- 自分の経験とどうつながるか
- 他の見方はないか
まで見ていく。
その方が、自分には合っている気がします。
つまり、
量よりも密度。
冊数よりも咀嚼。
そして、その前提にあるのが知識欲。
今のところ、自分はそんなふうに考えています。
最後に
「考えたければ本を読め」
という言葉には一理あると思います。
ただ、それを
「冊数を増やせば考えられるようになる」
と単純化すると、少しズレる気がします。
自分なりに整理すると、鍵になりそうなのは
知識欲
です。
- 知りたい
- 理解したい
- 納得したい
- 背景を見たい
そういう欲求があるから、人は情報を取りに行く。
その手段の一つとして読書がある。
結果として、よく読む人に“考えられる人”が多く見える。
でも本質は、読書量そのものより、
知識欲と、それを咀嚼する姿勢
なのかもしれません。
自分は多読・乱読するタイプではありません。
でも、それでも考える人でありたいとは思っています。
そのために必要なのは、無理に冊数を増やすことより、
知りたいことをちゃんと深掘ることなのかもしれません。